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【楽都ティオドラ】
すり抜けていく感覚が指に残る。手を離した、手を離した、焼けていく石畳の上にブーツが見える、露天の影の火鉢の中身、幌が垂れて燃え移り、手を離した、手を離した。一秒ごとに場面が切り替わり、繰り返して再生される。
手を離した、家に帰り着いた、靴をどこに忘れてきた、手を離して、どこに忘れてきた、夜ごと夢ごとくるくると、回転木馬じみた幻影とヴァイオリンの弦がからみつく。
「……スイさん?」
肩を揺すられてスイランは目を開けた。額が汗でじっとりと濡れていて、前髪が貼りついていた。
「大丈夫ですか、蓋しめないと楽器に汗が落ちますよ」
的外れな心配の仕方が心地いい。長く細く息を吐いて、開きっぱなしにしていたケースの蓋を閉めた。両手を軽く握って開き、何もこぼれ落ちていないと確かめて、やっと顔を上げた。
「特にはね。いつから寝ていた」
「さぁ。でもそんなに経っていないと思いますけど。ちょっと前には返事くれましたから、スイさんが思っているよりは寝てないんじゃないですか」
「言葉遣いがおかしいから気をつけなさい、アッシュ」
連れのアッシュは言葉選びに不自由なところがあった。無理に敬語を使おうとして失敗している。慣れない共通語
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