多分、陽羅の響いより。
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【春にはみどりのひとみのオバケがいる】
「それで、その――王子先輩?」
紙袋を手渡しながら、管の端が薄茶色くなってきた蛍光灯に積もったほこりから言葉を探すようにして、彼女は目を泳がせた。
「何か」
あまり嬉しくないお呼びなど、早々に退散したかった。鼻のあたりの違和感も手伝って、常より声が低くなる。ああ、これでは、声音で男と思われてもしかたなかった。部活でもしていない限りは用のない校舎は閑散としていて、だれも彼女を止めてくれそうになかった。
「鳴海先輩の、先輩の……」
福王寺を連れ出してくれるだろう人はどうやら渦中の人物らしい。これは来てくれた方が面倒になるな、と廊下の隅にたまった砂埃に目を落とした。気を配らず、丸く掃かれた軌跡が残っている。
「君、あれに本気でむかうつもりか」
つわものが残っていたのだな、と純粋に感嘆して、改めて眼前の少女の胸元を見た。一学年下の、最高学年生の色のタイを締めている。否、一昨昨日までの最高学年生のカーネリアンである。他校ならば微妙な位置の彼女は、当たり前のように二階にいる。歩いているうちにずれたのか、やわらかくなった上履きの先端で床を打った。
中高一貫の弊害だ。まったくこの区切りの季節に新鮮みがなくなるのである。ただ少しクラスが変わるだけで、好意の在処や向け方にまで変化を生じさせない。
「だって、それは、先輩が」
「君、これは僕から渡した方がいいのか」
「渡してください。そのプレゼントは先輩から。わたしは――わたしは」
別のものを自分で私に行くという心づもりで、少女は人気のない廊下を走っていく。
昨日街で見かけた軽い素材のコートのような淡い青の袋に小さなリボンが銀色のシールで止められている。秘めた色は極めてヤツが嫌っているものを思い起こさせる。
曇り空の日曜日に生まれたのが悔しくて、春の薄い空の色を好むという。生まれてはじめてみた空は、この袋のや今日の空だったろうに、そんな言葉を平気で吐く。
視線を投げた校庭から、彼の笑う声が聞こえてきた。昨日の雲はどこかに去り、乾いた小さな石粒が運動靴のゴムの隙間に挟まって絶妙の配置だったかしたらしい。笑声は彼が連れ出されるまで止むことがなく、ひらひらひらひら舞う光が紡ぐ布のようだった。
黄色い砂やいきものの未来を運ぶ風が作る紗布の先で、一度だけ声が止んだが、すぐに別の聞き慣れた声と拍手の音が届いて来た。
それが何なのかが解っていたから、頬を赤くしていた彼女に伝えなかった言葉を呟いてみる。
「無理だから諦めろ」
彼がいつも持っている鏡の中身や、あるいはたったいま流れだした横笛の音色を見つめる姿にはどうやっても近づけないのだから。
「別格……だからっていきなり部活に呼ぶのか、ヒズ。神崎は知ってたからいいとして、萩は……ああ驚いている驚いている。そこまでした相手いないからな」
家族はともかく、カノジョサンにでれでれする幼なじみだったか首をひねりつつ、とりあえずこの袋の中身はご賞味いただけるだろうと窓を開け放った。
銀色のフルートがなめらかに輝きを返している。きっと彼女の背後に立てば、木陰で震える苦い赤を見つけることができるだろう。
緑色のタイを風にさらして、しばらく風を眺めていたが、つい堪えきれなかったくしゃみで演奏を止めてしまった。
「すまない、紗英先輩……っ」
吹きこんでくる風の強さに目をつむりたくなりながら、福王寺は大きく手を振った。
2006/4/3 HappyBirthday? H. Narumi
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補足。
鳴海君は春休みに彼女ができました。福王子さんとはあれでそれであれだったりしますが基本家族。身内。