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    くらげすぺさる

     くらげすぺさる。エイの顔とサメさんたちにきゃーきゃーしてきました。
     江ノ島ですよ。
     水族館に行って来ました。



     そして、久しぶりの日記なんだからまっとうなことを。そう。
     たまには真面目な話をしよう。
     ちょうどテレビが真面目な話題であることだし(時期が時期なので戦争関連/後世の暇人がやる考察は見る価値があるとおもう)。

     携帯からの日記投稿が相次いだので、久しぶりに長い記事になるかな。
     ゼミで小説の創作をしない方から問われた「小説においてどれくらい自分が入るのか」の話。

     サイトを知らない人なので、詳しく、細かく例挙げながら説明できないし、口述苦手なので上手く言えなかったので、整理。

     感情を書きやすく入りやすい一人称と、視点人物を指定した三人称・ほぼ全人物を視点にする三人称では、見た目からして――読み手が感じる入りかたからして違う。
     入れるさじ加減もまた異なる。サジなんて、作品毎に違うものだけれど。

     自己の投影としての小説。
     自己の発露としての小説。
     とまた違い、SSに関してはシチュエーション小説もある。陽羅【うっかり者】とか。

     投影するもの。ひとつに感情。もうひとつ事実。
     登場人物が感じる感情の経験は自己の経験に基づくことが多い。知っている感情を書くときは深く書ける。知らない感情も書けるが浅くなる。浅くなった場合は、書き方を変えて対応できる。
     事実の経験。アルバイト経験をした人はアルバイトの裏事情まで書ける。それも相当いきいきと。していなくても、アルバイトをしている人に話聞いたり観察するだけで書ける人がいる。アルバイトをしているという展開は、どちらでも書ける。
     ただし、アルバイトを書くにしても、重点が違ってくるだろうとは予測できる。アルバイトをしているということが装置で終わるか、軸になるか、要素止まりか。
     どっちにしても書き方だと。
     自分の経験している場所以外まで飛べるのが空想小説の醍醐味だろうし。



     訂正。(訂正してなお、つらつら書きすぎてとりとめなくしてる)


     1、経験した事実の投入
     2、経験を元にこれもアリかと類推される仮想事実の投入
     3、経験した感情の投入
     4、経験していない感情を制作して投入
     5、経験未経験問わず、混合して創ったものを投入

     ……白沢さんが一番やってる作業って、5だよ多分。結局。エッセイにしても、ノンフィクションにしても、書く・描くという作業を通過する以上、どうやったって創ったものと作らないかも知れないものが混ざるのだ。
     日記を書く。稀にまったくの嘘をついている日記がある。
     写真が事前にとっておいたもの、ということも多々ある。
     ほとんど寝て過ごした日に、なにがしかの事件を起こしてみたり、報告した方がいいようなことが起こった日を、寝て過ごした日にしたこともある。
     されど、この手をもって脳をもって創作した事柄に、自己の幾ばくかは入っているに違いない。

     また、ちょっと変な話になるけれども。
     オリジナル異世界ものを書いている時。その世界における「あるもの」は、その世界の言葉で呼ばれているはずだと思う。「椅子」はたぶん「椅子」と呼ばれていないと思う。
     頭の中にある地図や、名前や、物体の形を、日本語に翻訳してんじゃないかと。
     ゼミで説明する時、ドイツ風とか、和風っぽいファンタジー、とか使うことが多い。だが、あの世界にドイツはないのだ。ドイツがない世界を書くのに、どうしてドイツ風なんて言葉を使っているんだ、俺は、と。
     発表しながら、設定の言い訳をしながら自己嫌悪に陥って、ごめんナギ、なんだか毎回不適切な言葉を使って君の世界を表現してる、と平謝りしている。
     国同士の位置関係――ギルベリアは北の方にある。西に少しと南にちょっと行くと、楽都がある。間に小国が挟まっている。ギルベリアの山を北東に越えると草原の国があり、更に北に行くとちゃあんと雪国がある。もっと南方、ギルベリアから国境ふたつ分くらい先、海に面した土地は聖王教会でなければ何なんだ、と言う場所がある。右下の方にタルタメラント(右下ってどこさ)、そっから少し上の方にチェスティが暴れ回ったあたりがあって、云々。白い画面に丸印(長丸だったり色々)を書いて、こんな感じなら、カイカノンはここ以外にないだろ、とぐるっと線を引いてみるのだ。
     けっして、その形は地球の地図ではない。
     
     無理矢理置き換える。無理矢理置き換えてみる。その途上で、自己投影されてしまうんだろうな、と思う。私の語彙では、私の感覚では、どうしたってギルベリアは教育委員会で魔術師でドイツ風なんである。

     小説を書いていると、時々立体パズルをしているような気にさせられる。
     俳句なんかがごく自然に、視点を自分に据えるのと同様、接触センサー位の軽さで切り替えられるスイッチつかってんじゃないかと。ほぼ意識なく。必要なく。



     そんな書き方してると、提出前に整合性求めて大混乱と超修正、初稿の大部分切り捨ての憂き目に遭うわけでございますが。うえん。


     勿体ないオバケに取り憑かれている白沢さんは、切り捨てをあんまりできないけども、それでも三分の一は修正入りますからね。夏目でも芥川でも賢治先生でもないけど赤いよ。基本。前は赤かったけど、最近は「電車内での第一次校正/訂正」は黄緑で「第二次」を青、あとで気になったところがあったら小豆色。で、三色くらい使っている時がある。これだけやってもまだ誤字脱字、駄目な文章あるんだねぇ。どれだけ注意力足りないんだろ。
     あ、文章切り捨てる場合? 特に設定の場合は、書く前に捨てとく。で、ヒッソリ「この設定サイト用だと入るから、あとでこの文を入れるのーウフフー」とノートの隅っこに書いておくのだ。
     テンション高い時はぶった切るのも躊躇わないので、人と会っていたり色々むかついた時にやると鮮やかに削れるぞっ。

    (今現在、40*40で三枚目の十六行目。原稿用紙十枚分に相当します。うわっはい。そして読んでいる人の多くがお気づきと思うけれども、この文章の要らない部分というのは、おおよそ六枚分くらいになりましょう。やっぱりお気づきかも知れないけれども、最初の問題提起にしっかり答えていないとか、文章としては散々たるものなのであります) 

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