取り去れない印象はあるもので、自分がよくやってしまう状況とか手法とか、ふと思いだしてしまうと、オイ白沢またこのパターンか。と壮絶なツッコミを黒沢さんがしてくださいます。
うるさいですよ黒沢さん。だってコレが、僕が書きたい台詞と、状況と、展開なんです。光景なんですよ。何度書いたって書き尽くした気にならないものなんですよ。余所様のものを読むだけじゃ満足できない、自分で書いても満足できない、そういうものなんですよ。
毎度、うん、毎度。
音声消失とか、季節変化とか、真夜中とか、寝起きとか、迷子とか、夢で過去回想とか、異世界の介入とか、自分が選んでいるつもりで選ばされているとか、死にたくないならあがけとか。
むーん。絶望的に足りないのは、書き分けられる技量ですねぇ。うっかり同じ語や書き方をしてしまうという。おい。
だから黒沢さんが、はあん、また同じことを同じ風に書くんですかぁ、とのたまうわけでありますよ。
同じことを、違う風に書ければいい。
主張をオブラート包みにできるようになればいい。
呼んでいる人が知らないうちに一番大事なことを察してくれるような、そんなのになればいい。ええ、要らないところはガンガン叫ばせてやりたいですけれど。いや、要らなくはないんだ。そこを主題にすることもできるから。
叫ぶ言葉も匂わす意思も、どれもとりよう。
……あれ? 待て待て待て、言いたいことを匂わすのは、匂わすだけなのはとても辛い物語になるんじゃないか……。
やぶとか、かみそりとか、ええと、そうだそれからびんづめ。そんなの? かな。
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