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うすっくらやみをおそれなくて、本が好きという、そういうのはたちが悪い。
本をいつまでも読み続ける。部屋の明かりを落としても、星もあれば月もある。窓の下には街灯が、すぐ傍になくとも世界はとても明るくなったから、幼年向けの本を読むくらいなら辛くない。ただし、挿絵がない方がいい。限りなく彩度が落ちるし、絵や模様に文字が隠れてしまう。
くらい部屋の隅に積んである本なら、一晩で読み終える。
むしろ、一晩で読み尽くしたいからそのまま読み続ける。電灯をつけないので、親にも見つからない。笑い出さなければ気づかれない。ただし、電子書籍には注意すること。バックライトはまばゆすぎる。
静かな趣味に没頭するのは、非常に便利だ。
おとなしやかに見えて気を散らしているだけと気づかれない。まず教職の方々は、それよりも目に見えてどうにかする必要がある方に心をかける。放っておいてくれるとさらによい。砂利石を拾う、砂で摩耗させる、目をぎゅっとつむってみて、太陽の残光が作るモザイク模様を追いかける。それだけで全校朝礼が終わってしまうなんて、なんと楽なことか。ただし、会話は追いかけること。耳だけはそばだて、周囲の状況を知り続けないと、居室に戻るタイミングを見失う。
話屋の趣味も同じく使い勝手がいい。
詰まらない話を聞くときには、この脳味噌に住む誰かならこの話題をどう料理するだろうかと考える。人は話すだけでも満足するものだから、それで結構当たり障りなく話ができる。ただし、適度に相槌を。脳内人間を二名用意し、打てば響く会話をさせておいて、その中から適当に選んで口にするだけでもよい。
【薄闇の光景】
寝入れない夜、そのまま目を開けっぱなしにしておくことしばらく。目が慣れてくると、少しずつ闇が形をとってくる。それを捕まえたのを確信したら、もう瞬きをしてもいい。
父親の椅子の上に、小豆のよく煮たような色をした固まりが乗っていた。もやんもやんとおぼろげながら絶えずふるえ揺らめいていて、加湿器の吐く息にも似ている。もやんもおやんと背もたれに手を伸ばすと、小指ほどの太さの糸が二本ばかり、十センチほどにのびてきた。もやもやしながら何となく小人っぽい形をとって、てとてとともやもやの中を歩き回る。またひとり、またひとり、次々と背もたれの小劇場に役者が増えていく。ガリバーみたいだと思った途端、それらはかの挿絵の小人の陰影となり、ガリバー代わりに母の父の私の体の上を歩き回って、髪を掬いあげてはもやもやでできた杭にくくりつけていく。それはいけない、それは正しくない、と挿絵をはらうと、また、暗闇色のもやんもやんとした幾つもの固まりとなって、畳の上に沈殿した。
形を与えてはいけない。
何かの名前で表してはいけない。
もやんもやんとしたそれを、仕方ないので名前もないものと呼び、形もないものと認識して、ああ明日はどんな曲芸めいたものを見せてくれるだろうかと、ようやっと訪れた眠気に身を任せた。
もやもやのほかに光が見える。五ミリ四方のきらきらした紙のような、そんな光が風に巻かれて瞬いている。赤に青に白に臙脂、濃紺、黒の光がひらひらと舞っている。
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記憶の書写。
あれって、見ようと思うとふっと遠ざかるので、予測シナリオ通りに進むかいつも楽しみで、けれどたいてい負けていました。
途中で考えるのをやめないと、劇場の幕を下ろしてしまうんですよねぇ。まったくままならない。眠れない夜の、薄闇の光景。
闇夜がこの世から姿を消して、うすっくらやみの中で、闇がわだかまって固まったりしている気がします。上の記憶がそのまま、啓の原型になっています。あれにいろんな属性を与えてあいつになった感じ。
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