……どこかの映画タイトルだとか言わないように……
【一日目】
コーヒーの香りで目を覚ます。カーテンの隙間はまだ暗く、もう一度夢の国へ行こうかと布団をかぶり直した。
開けっ放しのドアの向こうから、めざとくそれを見つけたケトルが僕をしかる。はいはい、君の頼みじゃしかたない。ふたつ積んだ枕に手をついて起きあがった拍子に、サイドテーブルに出しっぱなしだった画板が空中でもたつく。
一緒に乗っていたパレットごと――やはり布団に戻ろう。ケトルがしかりつけてくれるが萎えてしまった気合いが簡単に戻らないのだ。
今日はカレンダー折り返し。
休日明けの少し肌があわだった、朝。
安普請のふたりふた部屋、キッチンひとつ。天井からコーヒー豆の麻袋がかかっていて、はじめはリンゴが入っていた木箱の中にジャガイモとタマネギがおさまっている。気がよすぎる向かいの住人に分けてもらった香草の束はキッチンの小窓に下がっている。その近くの定位置で、ケトルは僕が話を聞いていないとついに怒り出してしまった。
僕はまだ眠いのに何でケトルが僕を呼ぶんだろうと、多分出かけてしまった同居人を内心恨んだ。
常ならば閉じているコーヒーの袋から漂う匂いがケトルの声と絡まって僕を誘う。濡れて冷えた空気にかためられて、いつもはすぐ床に落っこちてしまうのに。
君は何をしていたの。アパルトマンの二階、君は何をしてくれたの。
流し台に転がっている客用カップはコーヒーの染みがついている。
ポットの中に何も残さず薫香だけ漂わせている。
すすいで壁のフックに引っかけた。
火にかけたままで出かけるなんてどうかしている。
白んでいく窓の外、教会の鐘がいちばんはじめの仕事をした。
たんとん、たん、と履きつぶした靴が階段をうつ。
すっかり機嫌をよくしてくれたケトルがもう一杯いかがと笑む。
洗ったばかりのカップをとって、鍵穴が回る音を聞く。
いただくよ、それからもう一人分、追加できるかい?

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