…………………………
【シーギディル】
梢の間を冴えた風が渡っていく。旅人よ――、そう呼びかけて過ぎていく。その言葉を聞きながら、提供された乗り心地の最悪さに堪えかねて、周りの箱や毛織物を蹴った。これだから荷馬車は。
「嬢ちゃん、見えたぜ」
御者台から声がかかった。と、急に狭苦しい世界がつんのめって、頭をぶつける。
「やっとついたの? ちゃんとシー・ギディルでしょうね?」
荷物の隙間から顔を出して、老年にさしかかりつつある男に尋ねた。この少しの間で、もう頬が痛い。さすがは氷雪の山を背負う聖都――シー・ギディル。
「疑り深いな、ちゃあんと教会の都さ」
旅人よ――自由を捨て、宿を得よ――風がまた囁く。目を閉じて受け止め、だからシー・ギディルに赴くのだ、と首を引っこめた。
嬢ちゃん――と呼ぶ声を荷物の中で聞く。箱越しに骨に響いて妙に籠った。長かった。この奇妙な反響から別れられると思うと、心が弾む。王国ギディルは南北に長い。巨大な港を擁する商都で船を下り、丘陵地帯の王都を中継地にして、最北の聖都までひたすら揺られてきた。
「嬢ちゃん嬢ちゃん、やっぱり聖都へは、巡礼かい。それとも、埋葬?」
幾度目の問いか。両手に余る回数であることは記憶している。ふ、と笑った。愚かな問いだ。確かに現在の教都は信仰の都だが。
「小父さん。教会って何の略か、ご存じ?」
大声でなければ届かないというのに、声を上げると響いて仕方ない。自分の耳を押さえて、半ば叫ぶように聞く。うん? と疑問が返ってきたのを確認して、強ばった肩をもみほぐした。
「共通語教育推進会。――ここでいいわ。降ろしてちょうだい」
また、つんのめった。ただし今度は急停車のため。馬のいななきが聞こえる。不満か。ならば次の命は、使われる側でない者になれ。布で覆った荷台から飛び降りて、己の荷物を引っぱり出す。

PR