風か吹き抜けた。水の上を通りすぎてきたそれは、どことなく月光じみた冷ややかさを帯びていた。開け放した障子を叩き、とんととんと時を告げる。屋敷の主の、肩口で切り揃えられた絹糸のような髪を少し絡ませて、はたと止んだ。
「終わった――」
縁側に腰かけていた主が静寂を取り戻した庭に向かって呟いた。西瓜をしゃくりと食んで、甘くとかして飲み下す。
「手を出した甲斐があったね。やっと終わったようだよ、都」
主は振り向かず、声を庭に投げる。都は、湯飲みをおろして横にどけ、見慣れてしまった後ろ姿に近づこうと膝をすって縁に寄った。屋敷の主は、西瓜をもうひと切れつまみ、さく、と噛む。それにあわせて、床の間の花が一輪落ちた。
「凪が破られた――君が打った刃のおかげだね。ありがとう、都。君で本当によかった」
高木、低木はそれぞれに枝葉を伸ばしている。最近になってぐっと伸びた気がしないでもない。力強い幹は下方、根に至って草花に囲まれ、さらに広がる苔は水気を多く含んでいて、爽快さはあるのだが、なんとなくしんみりとした庭を主はずっと眺めている。
「嬉しくなさそうに感謝されたら誉め言葉に聞こえないわ。せめて、最低限、私を見て言いなさいよ。いつものことだけど」
「それは少々怖い。ご勘弁願ったまま去るしかないかな」
「去る……って」
「60年後にでもまた会おう。僕は長生きするつもりだからね」
「ちょいまて意味がわからない」
「そのままさ。僕は60年ばかりをかけて、僕が西瓜を振る舞ったすべてのひとの墓をもうでて、最後に君の墓標に花をかけるだろう。僕は君を知るだろう。書庫の中から、旅人の歌から、過去の名工の足跡を探って」
屋敷の中が変容していく。キラルとキルアが騒ぐ山頂、濁流の淵に立つのはカナナリ、木が絡まる巨大な十字架は榊の在処、夕べの花畑に佇むティア、豪奢な洋館に月のセレネが明かりを灯す。半分までのカササギの橋、逆さまの木で遊ぶ猫、糸車を高速回転させる三姉妹、白い闇の中から引く手が数多に、砂時計を数える誰かが低く笑っている。次々に切り替わり、そのどれでもなく――川の上にある屋敷にまたなったかと思うと。
「彼と同じものになるまいと願いすごしてきた僕だもの。さ、刻限だ。やっと生まれるから――さよなら」
明かり障子と西瓜はどこかに。御簾と几帳で区切られた板の間の上に一畳敷かれていて。
涼やかな青年はどこを探しても見当たらず、変若の酒を湛えた盃に映る、久冴えた月影が残った。
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