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    俺屍 : 異聞西村神代記2

     序盤大凌戦クラッシャーズ(大江山後の負担軽減委員会)の名の許に、各迷宮を破砕する勢いで突き進んだ子ども達の記録です。
    クラッシャーズは全員書きました。次は大江山アタッカーズです。



    …………………………

    瑞穂さんと明丸さんの息子、喜一(キイチ)。
     19年3月生まれ、20年10月没で享年一歳七ヶ月。右2上7、カラーリングは水風風。
     来訪時には、まだ失敗をしていたのですが、貴重な男性だったためか、巧兄ちゃんに庇われておりました。
     よく狙われ、防御も攻撃も弱い故に、槍使いだというのに後列好き。攻撃力への自信なさからか、回復の進言が多かった。大将狙い、あるいは特定の敵を狙い撃ちにする偏った嗜好あり。攻撃力コンプレックスからでしょう。
     重要なときにぽかっとミスをすることもしばしば。そのおかげで、朝香とロマンスにならないロマンスが生まれますが(笑)
     減っていく忠誠心に、巧はかつての自分を見るような心持ちがして、ついつい三代目当主に任命してしまうのでした。

    あと100ほど戦勝点があれば、
    きっと必殺の奥義ができたのに…
    みんなに披露したかったのに…

     ……攻撃力コンプレックス。彼の次に生まれた子達から、第一次奥義創作ラッシュが始まったので、その所為もありますけれども。



    瑞穂と鳳 あすかの娘、明(メイ)。
     19年6月~21年2月。一歳八ヶ月の生涯を旋風の如く駆け抜けたひと。お顔は右5上1の、温和しやかで頼りなげなお嬢さん。お顔 は。
     外見と中身は一致しないモノなのよ、ということを一族中に知らしめなさった、来訪時に豪快と称されるとおりの兄貴性格。命の炎が燃え尽きるまで、隠居しながらも後輩指導に励み、妹・朝香との手合わせもかかさなかった。
     攻撃・術・道具を的確に進言する戦略眼もさることながら――。いえ、彼女の本質は、敵が7体以上いると迷わず雷太鼓を使おうとする大雑把。普段は雑魚から片付けようとするのに、その時だけ大将狙いでさっさと戦闘終わらせようとする面倒がり。
     19年10月の九重楼で当家初の奥義、疾風剣明を創作。同時に、メイからアキラに改名します。自分の中で奥義が完成して後は、全く使おうとはせず、秘剣に致します。本当、オリジナル版疾風剣明は、誰ひとりとして見たことがないんですよ……。迷いない太刀筋がそのまま疾風剣なのではないか、という説が出るほどに「これが奥義だ」と言わない人でありました。
     あ、リーダーシップは喜一よりあります。
     やたノ黒蝿を解放し、ついでに見初めた模様です。

    じゃ、先に行くけど
    できるだけゆっくりおいで

     妹さん宛の言葉ではありますまいか?



    巧兄ちゃんと二つ扇ノ前様の子、美鈴(ミスズ)ちゃん。
     19年6月生まれで、享年一歳八ヶ月。右4上2の、こちらも面立ちは温和しそうなお嬢さん。いえ、この時期の当家の中では一番温和しい方でございましたとも。
     色がようやく風水水となり、水髪の呪いが解けた子です。
     肩胛骨と鎖骨が生まれつき優雅、そして意外にも面食い。
     21年3月の選考試合で心の水が一度に40も上がった人である。ええ、待てよ、お嬢さん、序盤のお人だろう? とい言うツッコミをいれましたが、元々彼女は人の回復を優先させる子であったのでした。
     20年1月、鳥居千万宮にて連弾弓創作。創った次の雑魚戦でいきなり進言。完成度に自信がなかったのか、試し打ちをしたがりました。でも、尽く喜一っちゃんや明に却下され(笑) ……でも忠心は下がりません。海のような心の方でしたので。
     ただ、奥義に関しては、荒波の如き様相を呈しました。お母様譲りの攻撃性が。
     奥義修得までは、明とセット、もしくは双肩、という感じであったのですが、習得後は道が分かれましたねー。明と一緒に、黒蝿さん・狐次郎さんを解放しまして、こちらは稲荷ノ小次郎の方がお好みであったようです。

    私の痛みは私だけのモノ
    もったいないから
    誰にも分けてあげない…



    詩帆と鳳 あすかの子、朝香(アサカ)。
     明の母違いの妹に当たります。戦闘スタンスもよく似てました。屹度、明の背を追って生きていたのでしょう。
     20年1月から21年11月の生涯でありました。右5上4・水風水、と色も髪型も明に似てた。膝頭とくるぶしが可愛いと、当初は可愛い面ばかりがあらわれていたのですが、初陣以降、強かな女性として大人の階段を駆けあがって(笑) 行くことになります。
     喜一が「ついうっかり」薙刀を装備させずに相翼院まで連れて行ったがため、悪羅大将から秋津ノ薙刀をぶんどり、その相翼院で、当家初・影縫いの針使用提案をし。
     ……いや、影縫いの針を進言したのは、後にも先にも彼女だけなのですよ。誰に対して使うのか、とは聞けませんでしたが。あの相手の動きをとめる呪いの針を。
     白骨城で双光朝香斬を創作。彼女も基本的に秘技として扱いましたが、喜一は見た。縦に一筋の光、返す刃で横に一閃、十字を切る双光斬の軌跡が自分に刻まれるのを……!!
     その後、大江山の仁王ズを切り裂き、九重楼でだるまさんを一撃の下に粉砕し、娘の教育に励まれましたよ。あ、喜一の娘には酷いことしてないですが、ちょっと怖いお姉さんという印象を植えつけてしまっています。
     最期は、朱点童子打倒の報を聞きながら息を引き取ったのでありました。

    10年越しの恋とかサ…
    1度はしてみたかったねぇ…
    あたしの性格じゃもともと無理かナ



    その喜一と東風吹姫の娘、都古(ミヤコ)。
     20年6月の生まれ、22年4月に没、享年一歳十ヶ月。右2上3水水土。水髪の呪い最後のひとり。
     お母様に似て可愛いくて、イツ花に交神相手はどの神がお似合いか、と気をもませたくらいです。
     能力的には、三ヶ月下の麻結とどっこいどっこい抜きつ抜かれつ、切磋琢磨。みんなを大江山に送り出した姉さんです。片羽ノお業を二回、九尾吊りお紺一回撃破、ついでに奥義大風車を創作。この時期にしては技力が馬鹿高く、ひとりだけ484/206……。
     484→455→394と徐々に弱って逝かれました。あらゆる点で麻結とほぼ同時期なんですね。

    私はみんなの役に立ってたかい?
    私に意味はあったかい…?

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