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【時間意識】
時が巡る。あの女は揺り篭と喩え、あのガキは糸車と喩えた。癪なことこの上ないが、俺は――どういう訳か、ガキとほぼ同じ意識でいる。
ガキの曰く、糸紡ぎすらも含めるようだが、俺はその機構にのみ着目し、水車、と語ろう。そのひと巡りなのだ、と。
一個の歯車が一日であり、まあ、秒単位であっても構わない。ひとつの歯車が一回り大きな歯車に触れ、それを動かす。一日が寄り集まって一箇月。まあ、そんなところだ。
それが年単位になり、人の一生分の単位になり、いや、もしかすると川の水を受ける大車のあたりは、世界一回分にもなるんじゃないか、と妙な勘ぐりもしてしまう程度には、この考え方を気に入っている。
で、ついでなので周りにも聞いてはみたが、その辺はお国柄の差違がでるらしい。
虫取り網を常備している子どもめいたものは、巡り輪と答えた。
その隣の、同じ格好をしたものは、巡り輪には相違ないが第一環第二環と重なっているモノであろうと答える。
南方に家を持つものは桜と言い、都育ちは天と言う。
それは時刻を知るためのものじゃありやせんか、と指を突きつけると、桜と答えた方が、季節を知って、その季節を数えた分だけ時間ですよ、と濡れ縁に転がって笑った。日向ぼっこか、甲羅干しか。いやいや、虫干しだと大の字になる。
日射病に気をつけろ、顔の上に肩布を放り投げてやったが、腹の上に乗せ直しやがった。……寝る気か。
天、とのたまった人がにこやかに微笑みながら三時間ほど蕩々と語られたことを要約すると、星は運行により時節を把握できるばかりではなく、微かに移動をしているので世界全体の流れに身を任せた心持ちになれる、とのこと。あまりに長い上、精神論にまで至った気がするので、うまく要約できたかは定かではない。
そのあたりまで聞いていると、俺の考えなんてものはこぢんまりした小市民的、田園的で和やかじゃねぇか、などと本来とは全く違ったところに着地を得る。
ま、着地点と出発点の相違など常のこと。これもまたヨシ、と天を見上げる。
……さてはて、昔見た空とどう違うかな――。
暫く、天体観測が趣味になってしまう気がした。
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