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【追懐のしずく】
老人が多く住む地域の特性か、日頃から道ばたに、軒先に、店先に数人が固まって談笑する姿がよく見られた。幼少から出入りしていたからか、老人たちに気に入られ、なにくれと世話を焼かれるという心地いい記憶ばかりがある。
今は、駆けつけた親族や近隣の住人があわただしく出入りしては支度を調えていた。東の縁側を広く開け放ち、見知った背中たちが室を整えている。反射熱でぼやけた視界の中、年月を過ごして黒くなった建材に、大人たちが着ているモノトーンのTシャツや開襟シャツが溶けて紛れる。
「あ、来てくださった鳴海さん。ヒズ君、ね、直君を頼んでもいいかしら」
そのうちのひとつが振り返り、聖と父親を認めて声をかけた。すっかり目覚めている相手は、聖と目線を合わせて小首を傾げる。時間を短縮したために身支度が整いきっていない自分が気恥ずかしくて視線をずらすと、洗いすぎて色あせた黒っぽいシャツに汗が染みこんでいるのが見えた。乾いた色との違いが時間経過を思わせる。
ひそめた声で、あの子、一言もかえしてくれないのよ、と直純の部屋の方に目をやりながらささやく。
「いいですけど。どうしたんですか、この辺のやつじゃ駄目なんですか」
老人の多い地域だったが、子どもがまったくいないわけではなかった。彼を訪ねると三度に一度は他の子どもがいて、聖と遊ぶ約束だから帰ってくれと直純が言う場面に出会った。他の子がいるのならと遠慮しようとすると、直純は袖を引っぱって止めた。なにも家が遠い自分を友人にしなくてもいいだろうにと、聖が苦笑することもしばしばだった。
首を振り、おねがいね、と言い置いて支度に戻っていく。他では駄目なのか。たくさんの選択肢がある中で、どうして移動に時間がとられて遊びにくい聖を選んでいるのか、問いたかった。
「やっぱり忙しないね、父さん」
細かく説明せずに匂わすだけで去っていく、余裕のなさ目にして息を吐いた。自宅葬儀でも、そうでなくても、当事者宅は忙しい。気忙しさが感染していく。整えるための息さえも常のそれより短い。
音を立てぬよう声を張らぬよう、静かにすべてが動き回る。目まぐるしく立ち回っているのに静謐さを感じるのは、どうしてもぬぐえない影の所為だ。慌ただしく駆け回り、声をかけあっているのにその音が上手く聞こえない。通りの方には目頭に手をあてている人も見えたが、泣き声が耳に届かなかった。
まったく雰囲気に感染してしまっている。目が暗んで耳まで暗んでいた。
それで会話はできてしまうのだから不思議だった。父親の返答もおぼろげな光のようで上手く脳に届かないが、同意を示したのだろうとは解った。どうにか軽く笑んで問いかける。
「行ってくるよ。父さんは」
「少し、話をしてくるよ」
そう、と返して、またいつもと同じことをするのだろうかこの人は、と顔を顰めた。患者の家族を落ち着かせるための顔で父親が微笑んだ。日頃懇意にしている人が亡くなった家に、なぜ医者の顔を持ちこむんだと歯噛みする。
父と別れ、荒い歩調で庭を横切っていく。空を見上げる気になどなれない。どうせ雲は欠片ひとつないのだろう。夏の蒼天はまばゆすぎて目に痛い。蒼穹よりもその先の、どの季節にも勝って照らす陽光が目を焼く凶器にしか思えなかった。落ちた色濃い影には呑まれそうだと錯覚する。蒸して立ちのぼる熱に捕まらないように、極力急いで友人の元へ向かった。
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