白琳でしょかんなど。
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主様。こうして書にしたためるのも躊躇われるのですが、何かせずにはいられませんので、筆をとった次第です。
健やかにお過ごしでしょうか。
お申し付けの通り、朝夕の水やりと、昼夜の記録をつけておりますので、あの花につきましてはご心配召されぬよう。
書物は先日、空気がからりとしておりましたから、虫干しをいたしました。御衣装にも風を通し、傷みがないか確かめましたし、防虫剤を新しいものに替えましたので、少々薬の匂いが移ったほかは以前のままお戻りを待てるかと思います。薄硝子の器は危ないので紙にくるんで仕舞っておきましょう。銀器と塗りの椀については、いつもの布でよくぬぐってあります。お酒は封をしたまま眠らせてやりましたから、きっと美味しくなっておりましょう。
色々と片付けをしておりますと、どの品からも主様のお声がするように思われます。
屋敷の品々は主様の気配を湛えておるのが慰めに似て、されども主様のご不在を思い知らせて、物淋しさを招きます。
不安を言い出すことは憚られて、そっと墨に染みこませることにいたしました。
お早いお帰りを待っております。
どうぞ息災で。
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主様。花の咲く頃となりました。変わらずお元気でいらっしゃいましょうか。
嬉しいお知らせがございます。わたくしの兄弟が訪ねてきてくれました。ただ、急ぎの用事でもあったのか、一刻ほど語り合った所で帰ってしまい、充分にもてなすことができなかった点だけは残念に思います。
主様。あのこは朗吟を聞きたくなるような、たいそう美しい声をしております。お帰りになりましたら呼び寄せて、楽を愛でてはいかがでしょう。
日毎の言葉はつきませんが、ひとまず手を休めることにいたしましょう。
ご無事をお祈り申し上げます。
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主様。雪がちらほらと舞い始めましたが、つつがなくていらっしゃいましょうか。
あの八雲の日から十年が過ぎ去りました。庭木は今も四季にしたがって芽吹いては木の葉を散らしております。
このようによく染み透る夜には、主様が好んでいらした歌を口ずさみます。今宵はこれにもたれて過ごしましょう。
帰り来られる夜を待ち望んでおります。
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主様。夏の嵐が過ぎて行きました。主様のおわす方へ飛び去っておらぬとよいのですが、案じられてなりません。
一日でも早く、ご無事なお姿を拝させてくださいませ。
今日、黄金に輝く羽蛇が殻を脱いで行きました。脱け殻は小さく切り刻まれて運ばれましたが、当の蛇は助かったのか、先を知らぬ不明なわたくしですので、心寄せるしかのうございました。
盃が退屈と申しておりますから、近々、菊の宴を催しませんか。
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主様。あれからどれ程時を経たのでしょう。久方ぶりに方々の市を訪ね、主様の行方を尋ね歩いて参りました。水の都に鳥の島、変わり蜥蜴の煉瓦の軒、聞けども主様の影はなく、名も存じ上げませぬと口々に語るのです。
主様。何処におわしますか。声は届いておりますか。
主様を探し歩くわたくしの姿と名前は覚えたましたよと皆は口にするのですが。
どうにもままならぬ日々を数えすぎたように思えて参りました。
恨み言が過ぎるので筆をおきましょう。
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主様。雨がなかなかやまず、夜天の輝きが懐かしく思われます。わたくしを支えてくれるものも少しおります。心細さばかり書きつけてしまっておりますが、ご心痛のほどではございません。
幾度となく、彼等と話してはまだ慣れない呼び名に戸惑います。やはりお出かけになった日にくだされたものより、以前の方がわたくし好みにございますから、せっかくいただいたものですのに大変失礼で申し訳のう存じますが、お帰りの暁には、先どおりに呼びつけてくださいませ。
主様。慣れぬ日々に慣らされていく心地がしてなりません。
主様のご無事を祈念申し上げるとともに、ご帰還をひたすらに請い願っております。
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主様。また十年が行き去りました。主様に代わって屋敷におりますが、最近は鳥の他におとなう人も少なく、もっぱら庭石を動かしたり、木の剪定をしたりの日々が続いております。
蚕から糸を得るのもだんだんとうまくなって参りました。よい藍で染めましたので、お帰りまでに反物にしておいて、すぐにお仕立てできるようにいたしましょう。
このところ、白うさぎが健やかそうに眠っています。起きてくれれば遊び相手になってくれましょうが、いけませんね。せっかくすいた紙を破ってしまうかも分かりません。
日が登り始めましたから、ここまでといたします。
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